ハバロフスク地方の観光業の発展

インツアー・ハバロフスク紹介


インツアー・ハバロフスクは、ハバロフスク市だけではなく、極東ロシア最大の、そして外国の旅行会社から最も信頼されている旅行会社です。

当社は、1958年に、モスクワに本社を置く旧ソ連の外国観光委員会『インツーリスト』の支社として創立されましたが1993年にインツーリストから独立し、株式会社になってインツアー・ハバロフスク株式会社と改名されました。

現在、スタッフ800人を超すインツアー・ハバロフスクの主要な業務は観光業ですが、インバウンドもアウトバウンドも両方とも取り扱っています。その他に、小売商売を取り扱っており、ハバロフスク市内ではいくつかの大きな商店を経営しております。

インツアー・ハバロフスクのスタッフ全員の内の650人ぐらいは、ツアーの手配、ホテル業務、レストラン業務などツーリズムと関連した業務を専門に取り扱っております。当社の観光業務だけの年間総収入は2百万米ドル(2億4千万円)を上回っています。現在当社は、主として日本、そして米国、ドイツ、中国等の多くの旅行代理店と強いパートナーシップを築いています。

当社はハバロフスク市内で最も大きいホテル「インツーリスト・ホテル」を所有しています。ハバロフスク州にある他の旅行会社と違うところでは、これがインツアー・ハバロフスクのメリットなのです。 ハバロフスク最大のホテル「インツーリスト・ホテル」は、ハバロフスクの繁華街の近くに位置しており、ロシア人、外国人のお客様の中では人気があります。ホテルからは、部屋の向きによって、緑に囲まれた町の中心街と、アムール川の壮大な景観が楽しめます。毎年、3ツ星のホテル「インツーリスト」には約7万人が宿泊します。11階建ての「インツーリスト・ホテル」は、1977年に開業しており、415名の収容能力を有しています。

このホテルには251室がありますが、ホテルの1階は様々な会社の事務所、2-3階は航空会社の飛行機の乗組員用のルームとして使われています。また4階から10階までの部屋はお客様用の客室です。その数は191室があり、これはスイートルーム13室ツインルームとダブルルーム134室、シングルルーム44室で、全部はバスタブがついている部屋です。

「インツーリスト・ホテル」には、ロシア風のサウナ、フィンランドサウナのあるヘルス・センター、美容室、ビリヤード・バー(プール・バー)、ギフトショップなどあります。そしてまたレストラン、ナイトクラブもあります。それは、およそ300人収容のロシア料理や中華料理の大きなレストラン「レッドホール」、ホテルの地階にある韓国料理のレストラン「コレア・ハウス」、屋上にある和食のレストラン「ユニハブ」、夜中までショーをやっているナイトクラブ「ELEVEN」などです。

最近、ハバロフスクに観光で行かれる方々の数は、年々増えています。それで、観光バスの需要が高まってきていますが、現在、市内には、日本人お客さまのニーズにお応えできる観光バスがまだ少ないのです。しかし、インツアー・ハバロフスクは、4台の乗用車、6台のトヨタミニバン、8台のトヨタ・コースター、46人乗りのベンツのバスと、白ロシア製の「MAZ」のバスを2台ずつ所有しております。

80年代の終わりごろ、当社は、ハバロフスク経由でヨーロッパロシアや中央アジアへ観光に行かれる3万人以上のお客様を毎年、受け入れていました。しかし、90年代の初めごろ、ソ連解体後、ロシア国内での経済機構がかわってくると供に、元ソ連外国観光委員会『インツーリスト』も改組されました。その結果、外国人旅行者の中でもっとも人気あった中央アジアやコーカサスをまわる、いわゆるシルクロードツアー、全ソ連をまわる14日間のツアー、その他のツアーもなくなってしまいました。

現在、インツアー・ハバロフスクには、国際旅行センターとも呼ばれるインバウンド部があり、ロシア国内の60社に及ぶ旅行会社と契約を結んでおり、ハバロフスクを起点としたロシア極東・シベリア各地やロシア全土への、世界標準に達する様々なツアーの手配をしております。その中では、特に日本人お客様に関心を呼び起こすのは、ハバロフスク州北部やカムチャツカやサハリンへのフィッシングツアーとハンティングツアー、それから世界でもっともポピュラーなツアーの一つであるシベリア横断鉄道ツアーなどです。また、沿海州、永久凍土やマンモスで有名なサハ共和国(ヤクーチヤ)へのツアー、ロシア極東の大自然を紹介するカムチャツカやサハリンへのエコロジーツアーその他のスペシャルツアーです。

     

2年ほど前、ハバロフスクからは中国黒龍江省の最東端の町 撫遠(ブエン)への新しい日帰りツアーが開催されました。人口約6万人の町撫遠は、ハバロフスクの西65キロ、アムール川(黒龍江)上流の右岸に広がっている町です。撫遠は、最近、ロシア方面からハルピンへの旅行に向かう旅行者にとって最も便利な旅の中継地の一つになっています。ところで、今年9月からは、中国の場合、日本国籍の方にとっては15日間以内の観光ビザが不要になりました。撫遠は日本を初めとする外国の旅行者には観光地として関心が高まってくることを期待しております。

当社が手配している市内ツアーの中では、市内観光と博物館見物のツアー以外にもっとも人気あった、興味深いツアーを列挙します。
     

今年の4月にハバロフスクでは、ロシアでもっとも有名なサンクト・ペテロブルグの「バルチカ」ビール会社の工場がオープンしました。当社は6月下旬、ビール試飲が楽しめるバルチカビール工場への新しいツアーを開催しました。(Laptev取締役社長紹介)

現在、当社の第一パートナーは日本であります。昔、何十年にわたってわれわれは、JTB、近畿日本ツーリスト、日通旅行、プロコ・エアサービス、日ソ旅行社、日ソツーリストビューローその他の旅行会社と旅行代理店とは、長期間の、互恵的なパートナーシップを重視しました。最近、インツーリスト・ジャパン、JTSみちのく、エムオーツーリスト、ユーラスツアーズ、アースデスク、ツーリストシアターなどの旅行会社とのパートナーシップが活発になりました。

90年代の始め頃、ハバロフスクに外国から来られる観光客の総数が減少したという傾向が現れたのですが、90年代の終わりごろからだんだん事情が変わってきています。1999年には、当社は4500人の日本人観光客を受け入れ、それは外国人観光客の総数の9.8割でした。同年のハバロフスクでの滞在期間は平均で2.4日になりました(80年代のデータを見ると、平均滞在期間は0.5日にすぎませんでした)。

2000年に当社が受け入れた外国人客は5800人で、その中で日本人客が5100人(9割)をしめています。

2001年には外国人客総数は11100人で日本人客が8500人(7.65割)で、 2002年その数字はそれぞれ13000人と9000人(7.5割)に変わりました。

2001年には、当社は、日本各地からチャーター機で来られる観光客を活発に受けいれるようになり、同年、チャーター機7本を受け入れました。チャーター機の主催航空会社はウラジオストク航空でした。2002年には、チャーター機の数は2.5倍増え、6月から9月の間、インツアー・ハバロフスクは名古屋、大阪、こうち、高知、高松、鳥取、出雲(いずも)など日本各地からチャーター機19本を受け入れることができました。2003年の7月から9月の間、名古屋、仙台、新潟からもチャーター機9本を受け入れ、観光客総数は1376人でした。また10月上旬にもチャーター機3本を受け入れる予定です。

ハバロフスクに来られる観光客の数がますます増えてきていることは、非常に喜ばしいことです。日本人観光客は最近、ハバロフスクのことを「日本に近いヨーロッパ」と呼んでいるのはまれではありません。それは日本のマスコミ、ならびに日本にある旅行会社のスタッフ全員、当社のスタッフ全員の協力のおかげではないかと思っております。当社のスタッフには25人の経験豊かなツアーオペラーたー、そのうちの11人が日本語を話せるスタッフ、その他に30~40人の非常勤の通訳・ガイドがいます。非常勤のガイド全員は、30年間にわたって開講している、ハバロフスクで唯一の、当社付属のガイド養成講座を終了したものです。

当社は毎年、ツアーの広告・宣伝のために費用を増やし、様々な日本語のガイドブックやパンフレットを発行しています。また毎年日本で開かれる旅行博覧会に参加し、ツアーのマーケティングを行っています。

インツアー・ハバロフスク、並びにハバロフスクの他の旅行会社のスタッフ全員は、大勢の外国人客、特に隣国である日本の観光客がよりいっそう多くハバロフスクを訪れるように努力したいと思います。ロシアと日本は観光旅行を通じてお互いに理解し、仲良くなれることをお祈りします。